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2052年から8年後――2060年。
俊真は34歳。
この頃、金魚は再び進化した。
水槽はもう必要ない。
いや――
水という概念そのものが変わった。
◆ 水無し飼育体制《エア流体環境》
技術名称:
《AIR-LIQUID SIMULATION SYSTEM》
通称:
“空中水槽”
水を使わない。
その代わりに
金魚の皮膚を覆う
微細な保湿膜をAIが維持する。
見た者はこう呼んだ。
「浮かぶ金魚」
床上20〜40cmに
金魚は漂う。
子どもたちは歓声を上げる。
「触れる!」
「濡れない!」
「匂いしない!」
そしてキャッチコピーが街中を飾った。
✨水替え不要
✨掃除不要
✨アレルギー0
✨落とす心配なし
これは金魚の「理想形」と宣伝された。
◆ 展示ホールの金魚
巨大施設内
透明な空間に
金魚が浮いていた。
赤、金、青、虹色。
尾がなびくと
微弱な光が揺れる。
しかし俊真は
違和感を抱いた。
目を凝らす。
動きは滑らかすぎる。
揺らぎが存在しない。
水の抵抗も
流れの乱れも
深さの影もない。
そこには
偶然性が消えた泳ぎ
があった。
◆ 父の店
相変わらず水槽式。
水音が響く唯一の場所。
父は白髪が増え
手先は少し震える。
俊真は聞く。
「空中飼育、扱わないの?」
父は言った。
「金魚が上に浮いたら
人が下から見なくなるだろ。」
俊真
「それの何が問題?」
父
「生き物は見上げるもんじゃない。
水の底を覗き込むから関係が深くなる。」
俊真
「どういうこと?」
父
「見守る角度だよ。」
俊真は黙った。
言葉の意味を
すぐには理解できなかった。
◆ ある男の子の出来事
空中水槽の展示で
ひとりの男の子が金魚を掴もうとした。
金魚は逃げない。
体温感知のみで
逃走アルゴリズムは弱い。
男の子は言う。
「つかまえたー!」
母は笑いながら写真を撮る。
だが俊真は思う。
(逃げないって、正しいのか?)
掬うとは
逃げられる存在に手を伸ばすこと。
逃げない生き物は
選ばなくても成立する。
それは
未来の責任にならない。
◆ 父の病室での会話
父は軽い検査で入院。
俊真は問う。
「空中水槽の金魚、人気だよ。」
父
「人はさ、濡れた手を拭く時間が必要なんだ。」
俊真
「それは昔話だよ。」
父
「違う。拭くってのは
“触れた証拠を捨てる行為”なんだ。
その証拠が残ってる間
責任はまだ手にある。」
俊真はその言葉を噛み締める。
◆ 夏祭りの決断
俊真は
空中水槽型の企画の誘致依頼を断った。
代わりに父の店を継ぎ
小さなスペースを開くことにした。
水槽を磨く。
ポイを並べる。
弱い金魚
早い金魚
運動量の少ない金魚
尾の裂けた金魚
色の抜けた金魚
その全てを扱う。
どれも
不完全だ。
◆ 祭り当日
男の子が来る。
俊真
「どれでもいいよ。」
子ども
「逃げてるやつがいい。」
俊真
「難しいぞ?」
子ども
「だから、やる。」
そう言って
逃げ続ける金魚に挑む。
結果――
掬えなかった。
子どもは泣いた。
俊真は言った。
「泣けてるなら、大丈夫だよ。」
男の子は泣きながら叫んだ。
「次は掬う!」
その声は
昔の自分の声だった。
俊真は胸が熱くなる。
◆ 結論
空中の金魚は
触れても汚れない。
水の金魚は
触れると痕跡が残る。
俊真は理解した。
痕跡が残る時間だけ
責任が成立する。
未来は
責任の形跡でできる。
そしてそれは
空中環境には存在しなかった。
俊真は日記に書く。
「逃げる金魚を追いかけられる未来を
もう一度作ろう。」
その決意だけが
確かな手触りだった。
――第5話 完――
次は
第6話:代々受け継ぐ金魚(2068年)
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