シンプルな未来で生きる10の話

第2話 音の出ない時計

2103年。

家の時計は
すべて「生活最適化型」に統一されていた。

起床時間に合わせて分針が遅れ、
疲労指数が高いときは時刻が伸び、
恋人との予定が近づくと
通知音が柔らかく鳴る。

時計が人に合わせる世界だった。


◆ 祖父の家の時計

葵(あおい)は祖父の家へ立ち寄った。

棚の上にあったのは
古い振り子時計。

時刻は5分遅れていた。

ガチ…
ガチ…

針は進むたび
微かな音を鳴らした。

祖父は言う。

「合ってない時間のほうが時間らしい」

葵は笑って返した。

「時刻は正しい方が便利でしょ」

祖父は首を横に振る。

「便利は、時間の価値を薄くするんだ」


◆ 時計は狂う

昼過ぎ
時計はさらに遅れた。

8分遅れ。

12分遅れ。

その誤差が
葵には妙に気になった。

祖父は言う。

「時間がずれるとね、
過ぎたことを自分で判断しなきゃいけない」

「時計が教えてくれるじゃない」

祖父

「それは考えなくていい時間だよ」


◆ 部屋の片隅の沈黙

祖父の家には
AI音声も広告モニターもない。

時計の音だけが存在する。

ガチ…

ガチ…

揺れる時間。

葵はそのゆっくりした響きが
なぜか落ち着くと感じた。

人に合わせない時間。

正しさからずれる時間。

そこには
「自分で感じる余地」があった。


◆ 夜

祖父は眠り
葵はひとりで振り子を眺めた。

正確だったら
気づけなかった数秒。

遅れていたから
感じられた1分。

葵は思う。

(正しさを失うことは
 むしろ自由なんだ)

帰り際
祖父は電池交換をしなかった。

葵は理由を尋ねた。

祖父は笑って言う。

「正しく鳴らない時計でも
時計であることは変わらんよ」

葵はその言葉の強さを感じた。


◆ 葵のメモ

帰宅し、葵は書いた。

「正確じゃない時間は、不便じゃない。
その“ズレ”が、時間を感じさせる素材になる。」

最新の時計は沈黙だった。
祖父の時計は音を鳴らし続けた。

その音の分だけ
時間は存在していた。


――第2話 完――


次は

第3話 湯気のある味噌汁