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2128年。
都市の地図は、人が持つものではなくなっていた。
歩くと靴底のチップが
目的地までのルートを光で示し、
立ち止まると壁に方向が投影される。
迷うことは
社会不適合とみなされるほど
「間違えない」世界。
間違える理由は
なくなっていた。
◆ 父が渡したもの
葵(あおい)は久しぶりに父の家に帰った。
父は古い箱を開き、
折りたたまれた紙を渡してきた。
古い地図だった。
線は色あせ
駅名も変わっている。
書き込みもある。
「昔の地図だよ」
葵は笑う。
「これ、もう使えないよ?」
父は答える。
「使えるとは言っていない。
“歩ける”と言っている。」
意味がわからなかった。
◆ 葵は試した
地図に描かれた古い通りに沿って歩く。
靴は警告し続ける。
《ルート離脱》
《最短経路に復帰してください》
看板AIも言う。
「最適ルートは右方向です」
でも葵は無視した。
地図に描かれた線を探し
紙を見て
角を数え
曲がる。
地図と現実は
一致していなかった。
何度も立ち止まる。
しかし
迷う時間は
焦りではなく
余白に感じた。
◆ 道を外れた先
新しいマンションと道路の影に
古い木造の小さな店が残っていた。
ガラス戸の中には
手書きの看板。
「冷やし甘酒あります」
地図には載っていない。
葵は入った。
椅子に座り
冷たい甘酒を飲む。
冷房は弱く
扇風機の風が回る。
天井の梁は古い。
昼だけど
時間が遅く感じた。
それは
正しい時間ではなく
居たい時間。
AI推薦では出会えない場所だった。
◆ 店主の話
店主は言う。
「昔はね、道を覚えたくて歩いたんだよ」
葵
「今は、覚える必要ないね」
店主
「そうだね。
でも覚えない道は
自分の道ではないんだよ」
葵
「覚える=所有、ですか?」
店主
「違う。
覚える=関係になるってこと」
その言葉が胸に残る。
◆ 帰り道
同じ道を戻ろうとしたが
間違えた。
でも
間違えた先で猫に会った。
さらに間違えた先で
古い公園に出た。
さらに曲がった先で
知らない団地の夏祭りに遭遇した。
提灯が揺れ
子どもが走り
焼きとうもろこしの匂い。
目的地ではなかったが
目的は生まれた。
◆ 葵のメモ
その夜書いた。
「間違えない道は
通過点になる。」
「間違える道は
景色になる。」
そしてもうひとつ。
「道は案内されるものではなく
見つけるものだった。」
紙の地図は
古くて不正確。
曲がっている。
汚れている。
しかし
「考えて歩いた時間」が残る。
間違いは
遠回りではなく
その時間の輪郭。
葵はその地図を折りたたみ
机の端に置いた。
もう役に立たないけれど
“歩いたことの証拠”になっていた。
――第8話 完――
次は
第9話 冷めたコーヒー
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